「国際女性デー」がこの世から消える日に
3月8日は国際女性デー(International Women's Day)だ。
この世界的な記念日は、1904年にニューヨークで、参政権のない女性労働者が労働条件の改善を要求してデモを起源とし、1975年に国連によって「国際婦人デー」と定められてから現在に至るまで、女性の十全かつ平等な社会参加の環境を整備するよう、加盟国に対し呼びかける日となっている。
実に、100年以上も「国際女性デー」は高らかに掲げられ、社会の中での女性の立場の変革と向上が叫ばれているのだ。
この100年の間に女性の置かれる現実は大きく変わったと思う。
参政権を勝ち取り、教育機会も均等に与えられるようになり、家の「奥」で家事労働に従事する「奥様」から社会に出て男性と肩を並べて仕事をするようになった。
参政権を勝ち取り、教育機会も均等に与えられるようになり、家の「奥」で家事労働に従事する「奥様」から社会に出て男性と肩を並べて仕事をするようになった。
それでもなお、私たちは「国際女性デー」から脱却することができない。
私が通っていた中高は進学校で、そもそも「男女の如何にかかわらず、この学校で学ぶ者は社会を牽引するリーダーとなって欲しい」というモットーを掲げているような学校で(それはそれでプレッシャーだったけれど)、幸いにもジェンダーが理由で何かを諦めるという経験をせずに成長できた。
その後、進学した大学は女子大だったので、一層ジェンダーが理由で阻害されることは何もなかった。大学に一歩足を踏み入れれば、そこは実に自由でのびのびとして、何にでもチャレンジできる空間だった。(ただし、大学から一歩でも外に出れば、「お嬢様学校育ちの世間知らず」とレッテルを貼られ、「良いお嫁さん候補」と揶揄された)
その後、共学の大学院に進学した私ははじめて自分のジェンダーと向き合うこととなる。
私が研究していた文学者は、男性研究者の方が多く、女性でしかも20代の大学院生が現れたのは10年ぶりくらいで、とても珍しがられた。そして、その「珍しさ」は私の性に結びつくようになっていく。
指導教員の後をくっついて学会で挨拶回りをすれば「若い女の子が入ってきてくれて良かったですね」「女性〇〇研究者なんて珍しいね」と言われ、時には、「若くて女性だからあんなに可愛がられていて、実際は実力なんて全然ないじゃないか」とこき下ろされることもあった。実力の話は正しいかもしれないけれど、私が「若くて女性である」ことと結び付けて語られるのかと、面食らった。
私は、ただひとりの研究者として勝負したいのに、必ず枕詞に「女性」がついてまわる違和感。
修士課程を修了し、博士課程に進むと一層それは顕著になった。「女性研究者」として求められる立ち居振る舞い。先輩からは「研究者として生き残っていきたいのなら、自分が女性であることを忘れてはいけない」と釘を刺された。(これには実にいろんな意味が含まれている)
大学院の外では、「女の子が博士課程まで行ってもモテないよ」「男は自分よりちょっと劣ってるくらいが好きなんだよ」と散々言われ、「そんなこと、どうでもええわ!」と心の中で何度も叫んだ。
でも、確実に男性の方が生きていくのに有利だなと思わざるを得なかった。
大学院を辞め、出版社で働いている時も、スタートアップで働いている時も、いつももがいているのは(私を含め)女性社員だった。
リベラルだと思っていた夫にアンコンシャスバイアス(無意識のバイアス)が存在することに、結婚してから気がつき始めた。
何度突き破っても現れてくる天井。天井っていうか、もはや四方八方取り囲む囲いのようにも思えてくる。いっそ諦めて、その囲いの中で生きていけば悩まずにすむかもしれない。そう思ったことは一度ではない。(これがいわゆる箱入り娘ってやつだな、と書きながら思った。この言葉は、女性が”楽に”生き延びるための言葉だったのかもしれない)
日常生活だけでも疲れるのに、幾重にも重なる「ガラスの天井」と闘い、身近に潜むアンコンシャスバイアスをひとつひとつ正していくことは正直かなり疲れる。
もうこんなことやめたい。すべてに無関心になりたい。
実際、すべてに疲れ切った私は、あらゆる社会問題に対して無関心を決め込んでいた時期がある。
それを変えたのが、友人たちに生まれた小さな命の存在だった。
「この子たちが大人になった時、自分と同じ思いをさせて良いのか。」
今、私が参政権を持ち、高等教育を受け、社会に出て働けているのは、それを勝ち得るために闘った100年前に立ち上がり、現在に至るまで闘ってきたすべての人たちのおかげだ。
社会活動はもちろん「今」を変えるためでもあるけれど、5年後、10年後、100年後の人々への贈り物でもある。
すぐに何かが変わらなくても、今起こした行動は必ずいつか実を結び、そして自分たちに連なる世代に明るいバトンを渡すことができる。きっと、できる。
100年後、いや欲を言えば50年後、10年後、「国際女性デー」という記念日がなくなって、「すべてのジェンダーの人が自分自身を愛し、尊び、それと同じくらい他者を尊重できる世界」が到来することを願ってやまない。
そして、できることならば、「国際女性デー」がこの世から消えるその日に立ち会えますように。
0コメント